鹿児島家庭裁判所 昭和38年(家)877号 審判 1963年11月02日
申立人 佐川直吉(仮名)
被相続人 亡佐川テル(仮名)
主文
被相続人亡佐川テルの相続財産である
鹿児島市歩町○○○○番
宅地二一四坪
同所同番家屋番号上武○○○○番
居宅木造瓦葺平家建建坪一六坪
同所同番家屋番号上武○○○○番
居宅木造瓦葺平家建建坪二五坪五合
物置木造瓦葺平家建建坪一坪五合
を申立人佐川直吉に与える。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として
一 申立人佐川直吉は、亡佐川武男と亡同愛の二男として明治三五年一月五日出生し、海軍兵学校を卒業して海軍将校に任ぜられ、以来長らく車歴にあり、今次戦争においては内、外地に転戦し海軍大佐で終戦を迎え、復員後は郷里にあつて旧軍人関係の団体役員に就任して現在に至る。
二 被相続人亡佐川テルは、申立人の祖父亡佐川隆の弟亡佐川進と亡同タツの二女として明治一三年一〇月三一日出生し、師範学校を卒業して教員となり、以来約四〇年にわたつて小学校に奉職した。
三 被相続人の兄佐川直一(元銀行員)は、父進の死亡に因り明治四二年九月一〇日家督相続により戸主となり、佐川家を継承したが昭和二〇年一月一〇日死亡した。当時同人に独身で妻子なく、かつ、母タツ(昭和八年六月一二日死亡)姉シノ(昭和一二年一〇月七日死亡)らも既に死亡していたので、本件の被相続人佐川テルが選定家督相続人として家督相続し(昭和二〇年五月三〇日届出)、上記各不動産の所有権を取得した。
四 しかしながら、被相続人は結婚の機会に恵まれず生涯を独身でとおし、その兄直一死亡後は誰も身寄りがなく、恩給と上記家屋を他人に賃貸して生計を維持して来たが、たまたま昭和二六年三月二七日林一郎なる者を養子として迎え入れたが同年一〇月三一日協議離縁した。その後は申立人が被相続人と五親等の血族関係から何かにつけて老後の相談相手となりその世話をして来たが、被相続人はかねてから心臓病を患らい、それが漸次悪化するに及び申立人とその妻良子がひたすら看護に尽したけれどもその甲斐もなく遂に昭和三〇年七月二九日心臓衰弱で死亡した。
死亡後、申立人が被相続人の葬祭一切を執行し、現在まで同家の祭祀を主宰して来たし今後も継続する積りである。
五 被相続人は上記のように、相続人が存在しないまま死亡したので、申立人が上記不動産を事実上管理してきたが、その相続財産の処理につき相続財産管理人を置く必要を認め、申立人は鹿児島家庭裁判所に同管理人の選任を求め(昭和三七年(家)第八九五号事件)昭和三七年一〇月一五日同裁判所によつて申立人がその管理人に選定された。
爾来申立人は管理事務を遂行し、昭和三七年一〇月三一日相続債権申出の公告をなし、更に申立人の申出によつて同裁判所が昭和三八年二月二六日相続権主張の催告をなし(昭和三八年(家)第九六号事件)、昭和三八年九月三〇日同催告期間は満了したが相続人の申出はなかつた。
六 申立人は上記のように被相続人と特別の縁故があるものであるから相続財産の付与を受けられるものとして本申立に及んだものである。
と述べた。
当裁判所は
一 昭和三七年(家)第八九五号相続財産管理人選任審判事件並びに昭和三八年(家)第九六号相続人搜索審判事件の各記録
二 申立人及び被相続人に関する除、戸籍謄本
三 主文記載の各不動産の登記簿謄本及び申立人の提出せる各参考資料
四 当庁調査官大坪丈夫作成の調査報告書
により申立人主張の実情及び他に特別の縁故者と認むべき者のいない事実を認定する。
よつて、民法第九五八条の三に則り申立人を被相続人の特別の縁故者として主文記載の不動産はこれに与えることが相当であると認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 徳田基)